こんにちは。
・何をしてあげればいいか分からない
・これからどうしたらいいの?
父親が癌になって、血の繋がったあなたは精神的におつらい事と思います。
毎日病気が進行して、心配なお気持ち、わかります。どうかご自身の健康も考えて、ほどほどに看病をしてください。
私の父も、6年前癌になり、4年前亡くなりました。
この記事では、父が癌になってやっておけば良かったと思う事、体験談などをご紹介します。
では、見ていきましょう。
父が癌になってやっておけば良かった事
家事を自分から進んでやっておけば良かった
当時は家事も何もできなくて、父が癌になっても、ずっと家事をさせてしまっていた事が今でも申し訳ない気持ちです。
最後の方は、父が何も食べられずに、おかゆと梅干しで、毎日食べていました。
私がもう少し美味しい栄養のあるおかゆを作ってあげれば良かったです。
家事全般を早々と覚えて、父のために親孝行すれば良かったなぁ、と思ったりします。
もっと体力をつけてお見舞いしてあげればよかった
当時はコロナ禍でもなく、毎日病院へお見舞いに行けました。
しかし当時の私は体力がなく、見舞いに行っても座ってるだけですぐに疲れて、お見舞いに行けない日もありました。
父も毎日入院先で退屈だっただろうし、毎日お見舞いに行けなかったのは悔やむところです。
ただ、毎日お見舞いに行くことは、けっこう疲れますので、あなたもご自分の体力と相談して、無理なさらないで下さいね。
大人らしい事をしてあげればよかった
当時の私は、父に甘やかされていて、仕事も家事もせず、喋ることも子供っぽく、ろくな人間ではなかったです。
今、家事も仕事も、会話も、全部できるようになってから思ったのは、今になってできる色んな事を、当時やってあげれば良かった、という事です。
なかなか親が同居だと、出来ないものでした。
安心させてあげたかった
当時はギャンギャン泣いて、父を困らせていました。
仕事も結婚も決まらない状態だったので、父は「自分が生きてしっかりしておかないと」と、ずっと思っていたと思います。
最後、ICUの中で父が私を見た時は、泣いているような、悲しい顔をしていました。
きっと、私の事が心配で、だけど病気なのが悔しくてたまらなかったのだと思います。
亡くなる前に、仕事と結婚を決めて、もう少し安心して亡くなって欲しかったなぁ、と思ったりします。
癌の父にできること
毎日笑顔を見せる
親は、子供にいつでも笑っていて欲しい、と思っていると思います。
癌になったからと言って、めそめそ泣いているのでは、お父さんは余計心配してしまいます。
お父さんが生きている間は、明るい笑顔を見せてあげれば、とても喜ばれると思いますよ。
たくさん喋る
私も、父が病気になるまで、ずっと反抗期のような態度で素っ気なかったです。
でも、父が癌になって、しっかり喋ってあげようと思い、たくさん喋り、とても仲良く最後を過ごしました。
たくさん喋ることで、あなたの父親との思い出作りもできるので、喋ることをおすすめします。
今まで聞いたことのないエピソードも、お父さんから聞けるかも知れません。
何もできなくても顔を見せる
入院されたら、とりあえずお見舞いに行って、顔を見せてあげて下さい。
何もできなくても、あなたが来てくれただけで、とても嬉しくて安心できるものです。
私も、「はるこが来てくれて、良かった」と、見舞いに行くたびに言われました。
しんどい入院生活ですので、子供の顔を見れるのは、かなり心強いのだろうと感じました。
出来そうなことからやってみる
家事など、親任せで何もできないところから、何かをするというのは、とてもしんどい事です。
全部が全部できなくても大丈夫です。
出来る範囲の気づいたことを、あなたが一生懸命やってあげるだけで、親孝行になります。
「もっと早くしてあげれば良かった」なんて思わないで。あなたのお父さんはまだ生きています。
生きている今、出来る事をするだけで、あなたの悔しさも和らぐでしょう。
出来る事をするだけで、お父さんにあなたの気持ちは十分伝わっていますよ。
父が癌になった体験談
2016年12月 1回目の入院
当時、父はせきをよくしていました。
しかし、仕事が忙しいから、と、2ヶ月くらいはせきを放ったままでした。
12月に父は仕事が落ち着き、病院へ行きました。
その時に、深刻な状態だと分かり、病院へ行ったその日に即入院となりました。
父がせきをしたときに大量のたんが出たりして、私は見ていてびっくりしてしまいました。
いつでも頼れるお父さんが、病人になってしまった、と思いました。
父は1週間程度入院をし、退院しました。
そこで分かったのは、骨髄異形成症候群という、白血病に似た病気でした。
血を作る機能が低下していたので、父は1週間に1回輸血をすることになりました。
私もよく病院について行きましたが、輸血は2時間や4時間かかり、待つのに大変疲れました。
輸血をした後は「力が出るようになった」と言っていました。
この、退院した冬ごろに、父と色んな所へ出かけて、良い思い出がたくさん作れました。
2017年5月 2回目の入院
春に2回目の入院をする時には、父は骨髄移植をひかえていました。
骨髄異形成症候群は、まだはっきりとした治療法もわからず、骨髄移植は成功するかもわからず、ドナー(骨髄の提供者)がいるかも分からない状態でした。
しかし、ドナーが偶然見つかって、5月に移植手術となりました。
首から点滴を刺して、骨髄移植が始まりました。
結果はひとまず成功でした。
嬉しかったのは嬉しかったですが、父はその頃から少し弱り始めました。
食べ物があまり食べれなくなったんです。よく「お腹がすかないんや」と言ってました。
その頃から、丸々太っていた父は、どんどんやせ細ってきました。
私も、父を支えきれず、その頃から精神的におかしい事も多かったです。
離婚した母の家に泊まりに行って、父を置き去りにしたりしていました。
とにかく、父を支える事がとても辛く、精神的にも体力的にも、しんどかったです。
それでも、9月には父は退院できて、私も父の実家に戻りました。
父が家に帰ってくると、入院時と見違えて安心しました。
しかし、4ヶ月の入院を経て、父も、少し精神的におかしい事を喋るようになっていました。
食べ物はどんどん食べれなくなって、痩せていきました。
2018年11月 3回目の入院
12月になると、やわらかい爪が生えてくるようになり、陰部から出血もみられました。
主治医のすすめでまた入院になりました。
入院になると、あれを持ってきてほしい、これを持ってきてほしい、と、それをやるだけでヘトヘトでした。
食事の様子も見ていましたが、父が全然食べれない事に歯がゆさを感じ、イライラしたりもしました。
ミイラのように痩せてきましたが、いったん年末年始は帰りましょう、と、退院になりました。
この頃退院してからは、父はほとんどベッドで寝たきり状態でした。
朝に着替えて、夜に風呂に入ってパジャマを着る、それだけで精一杯のようでした。
おかゆを作っても、ちょっとずつしか食べれませんでした。
昼間に私が出かけていると、帰ってきたときに、トイレの前で倒れている時がありました。
「お父さん!」と呼ぶと、パチッと目を開いたので安心しました。
ベッドに連れて行ってあげて、手を握ると、父の手は冷たかったです。
「はるこの手は、なんて暖かいんや!」と、父はその時笑っていました。
2018年2月 最後の入院
父は、車で病院へ毎週通院していましたが、倒れたり色々弱ってきていて、家にいるのがとても心配だったので、先生にもう一度入院をお願いしました。
すると、入院が決まり、2月に入院しました。タクシーで父が病院へ向かった時は、もう体力がほとんどなくて、車椅子にのせてもらい、ベッドへ向かいました。
この時の入院では、見舞いに行くと、父はずっと眠っている事が多かったです。
父が入院して、3月3日に私の誕生日が来ました。
あの時どうして、父に会いに行かなかったのだろう、と、今でも後悔しています。
私の誕生日の次の日に、父はICU(集中治療室)へ移動し、人工呼吸器をつけられ、もう二度と喋れなくなりました。
ICUに移動してから、私は毎日のように見舞いに行きました。もう、見舞い疲れでヘトヘトだけど、少しでも会いたかったんです。
「お父さん、手握って」と、弱々しく、父に言いました。その時は、手は握ってもらえませんでした。
次の日、父の人工呼吸器のたんを取り出す作業の時に、父が一瞬だけ呼吸が楽な状態になったんです。
その時に、手をしっかり握ってくれました。
その日からしばらくして、父の体にモルヒネ(医療の麻薬)が投与され始めました。
心拍数もバラバラで、安定しない日が続きました。
ある日は寝ていたり、ある日は、心電図の音のなる方を、ジッと見続けていたり。
そして、「一緒に深呼吸しよう!」と私が言うと、うなずいていたので、最後まで父の頭はしっかりしていたと思います。
ICUに移動して、かれこれ2週間は、頑張って生きてくれました。
2018年3月18日 亡くなる
私が実家で休んでいると、新婚の弟が、「父が心拍数がバラバラで危ない」という電話をくれました。
駆けつけて、ICUには、弟夫婦と、私の3人がいました。
ずっと父のところで3人が見守っていました。
そして、父のかたく閉じた目が、ふっ…と開きました。
そして、心拍数がゆっくり下がり、0になりました。
3月18日21時8分、父は亡くなりました。
父が亡くなって、成長したこと
父が亡くなって、良かったと言ったらおかしいかもしれませんが、成長できたことも少しあります。
精神的に大人になれ、結婚できた
父に結婚式を見せられなかったのは悔やむところですが。
亡くなって数年後、晴れて結婚できたのは、この辛い環境を乗り越えて、精神的にも大人になれたから、というのもあります。
父が亡くなる事によって、「自分で何とかしなきゃ!」という自立心が生まれ、人間的に成長できました。
父に甘やかされたままだったら、ろくな結婚もできていなかった、と思います。
夫は4つ年上ですが、私と同い年の感覚だと言っていました。精神的にかなり大人になったんです。
家事、仕事をするようになった
父が亡くなってから、稼ぎも、家を整備するのも、自分の仕事となりました。
最初はしんどかったですが、ある程度自分で出来るようになり、夫と結婚する時も、驚くほど料理が下手、という事は無かったです。
一人暮らしをして、人に依存する癖も無くなり、落ち着いた結婚が出来たほうだと思います。
乗り越えた今思えば、よかったな、と思う事は多いです。
まとめ:乗り越えたら幸せが待ってる
父が癌になった体験談、いかがでしたか?
今はお辛いと思いますが、いつか、乗り越えられたときに、絶対幸せが待っています。
私も、父が亡くなって3年間、憂鬱でしたが、3年後に晴れて結婚でき、今ではとても幸せに暮らしています。
経験は何事も将来プラスに働きます。
あなたの父が、病気になったからこそ、あなた自身が良い方向に変わるきっかけにもなっていると思います。
今は辛い分、報われる時が来るので、今は精一杯、お父さんを大事に、看病してあげて下さいね。
あなたのお父さんが、回復します事を心よりお祈りしています。
では、また次回。
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